志半ばで倒れたホテル王「セザール・リッツ」の成り上がり人生
米国でホテルコンサル業を営むケニー・奥谷さんが、海外の高級ホテルやその創業者たちの偉大な業績を紹介する当連載。今回取り上げるのは、ザ・リッツ・カールトンの創業者であるセザール・リッツ氏(1850年~1918年)。一介の見習いワイン・サーバーから世界を股にかけるホテル王にまで駆け上がった彼の激動の人生を小説形式で描くとともに、ドナルド・トランプなどのホテル不動産王たちによる覇権争いの舞台にもなった名ホテル「ザ・リッツ・カールトン セントラルパーク」の今も紹介しています。
【第1回】逆境に打ちかった不屈のホテル王「ヒルトン」が残した教訓
【第2回】誰もが旅を楽しむ時代をいち早く見据えていた「近代ホテルの父」の生涯
ホスピタリティービジネスの天才
19世紀後半、海を渡ったヨーロッパにも、ニューヨーク進出を狙った天才ホテルマンがいた。ヨーロッパ中を席巻した彼の名声は、ホテルマンとしての存在を逸脱したものであり、彼を抜く人物は現れないだろうと言われる。だが、その華やかな人生の裏には、劣等感に導かれた孤独との闘いがあった。
「はっきり言わせていただくと、これでは売りあげは伸びません。どのようなものがいくらで食べられるのかを明確にしなければ、人は不安で入って来られないからです」
まだ20代の青年がギョロとした目を左右に動かしながら説く。
「どうしたらいいんです」
レストランのオーナーは口をとがらせた。
「店の入り口にメニューを置くんです。通りがかりの人が眺められるように」
「そんなかっこの悪いこと……」
セザールはオーナーを睨みつけた。彼は、自分の気に入らない場所で働くつもりはない。オーナーが言うことを聞いてくれないのであれば、引き受けるのを辞めるだけだ。
「レストランビジネスで最も大切なことはリピーターを育てることです。それは分かってますよね?」
「も、もちろん」
どもるオーナーの返事に彼は思った。“このオーナーはわかっていない”と。彼は腕組みをしてオーナーとの距離を詰めた。
「あなたは、私にすばらしいサービスを期待している。確かにサービスと味が良ければ、リピーターは育ちます。しかし、人が来なければ、なにも始まらないのです。だから、人がなんの不安もなく入ってこられる状態にしなければならないのです。それなしに、店の売りあげは伸びません。本当なら、パンフレットも作成して店の前に置きたいところです」
「レストランに、パ、パンフレット? そんな話は聞いたことがない」
「いいえ、それ以上のこともやるつりです。顧客にダイレクトメールを送ります。新しいメニューを作るたびに手紙を送って知らせるんです」
「そんなことをしている店はない。そこまでしなくても……」
セザールは首を小さく左右に振りながら言う。
「他がやっていないことを行うのです。世の中は、時代の流れを読めない経営者ばかりです。時代の先端を行く営業をやるから、売り上げが伸びるのです。私のやり方にご不満なら、残念ですが……」
オーナーは両手を顔の高さにあげて、“降参”のポーズを取った。
「わかった、わかった、あなたの好きなようにしてください。それで半年後の売りあげを見たい。そこでまた論議をしましょう」
“セザールはどのようにしたらレストランの売りあげが伸びるかを知っている。彼に任せれば、売り上げは倍になる”こんな噂が立ち、セザールはリビエラにあるレストランからひっぱりだこの状態だった。
だが、そんなセザールにも苦しい時代はあった。10年前に経験した悔しさは忘れようとしても忘れられるものではなかった。
それは彼が15歳の時のこと。鉄工学専門学校を退学になってしまったあと、彼はブリークにあるホテルで見習いワイン・サーバーとして働き始めた。そこでは一生懸命に働いた。ホテルの仕事が楽しく、自分にあっていると思ったからだ。
不器用だから、学生時代はなにをしてもうまくいかなかった。未だに読み書きさえ苦労する。この先、どのようにして生きていけばいいのか不安になっていたとき、ホテルの仕事に出会った。“これこそ自分の力を発揮できる場”と確信した。
だが、マネージャーはただ一言「お前の性格はホテルに向いていない。他の仕事を探せ」と、彼は解雇されてしまったのだった。